関博之

関博之

おたる北海睦・会長

神社に眠る神輿を掘り起こし、地元を盛り上げる

関博之

一度携わった祭りには、以後も続けて参加する、というのが会のポリシー。今は潮見ケ岡神社、小樽稲荷神社、住吉神社、潮まつりに参加。今年は朝里神社の氏子会から「長年の夢を叶えたい」との要請があり、40年以上もの間、上がっていなかった神輿を担ぐことになった。

関博之

1955年小樽生まれ。学校を卒業後、就職で東京浅草へ行き、神輿と出会い、本場の神輿文化を身をもって感じてくる。1984年、おたる北海睦に入会。現在は同会の会長を務める。

20年くらい前までは、小樽には神輿の担ぎ手がほとんどいなかった

小樽では、夏になれば、毎週どこかの神社で祭が行われ、神輿が上がる。さすがは港町・小樽、と言いたいところだが「20年くらい前までは、神輿はあったけど担ぎ手がいなくて、渡御はほとんどなかったんだよ」と、神輿会・おたる北海睦の会長・関博之さんは話す。

小樽生まれの関さんが神輿と出会ったのは、学校を卒業後、勤めた会社があった、東京の浅草でのこと。下町文化にどっぷり浸かった後、昭和59年、転勤で小樽に戻ることになった時は「神輿なんか担げないだろうと思った」という。それほど、小樽で神輿が担がれることは少なかったということだろう。

神輿会・おたる北海睦の発足は昭和58年。関さんが小樽に帰ってくる前年のこと。その年の「潮まつり」で神輿を上げることになり、市内の雄志が集まったのがきっかけだという。すでに札幌にあった神輿会・北海睦の弟会として発足したのが始まりだった。

眠っている神輿を掘り起こす

「最初は担ぐ場所がとにかく無かった。でも神社には神輿はある。だったら眠ってる神輿を掘り起こそうと考えたんです」

おたる北海睦が理想とするのは、あくまで神社の神輿は町会の人たちが仕切って、同好会である自分たちはあくまでもお手伝い、というスタンスだ。だから彼らはどこの神社にも属していない。

「自分たちだけが担ぐんじゃなくて、地元の人に声をかけて一緒に担ぐようにしていったんですよ。そうすると、その人たちが″お返しに″っていって、ほかの神社の祭りに担ぎに来てくれて、神輿の輪が広がっていったんですよ」

まさに町興し的な盛り上がりを見せた彼らの活動に賛同する小樽市民も多く、最盛期には会員が 200人にまでふくれあがったほどだ。

おたる北海睦が取り仕切る祭りの中で、もっとも規模が大きいのが全国から2000人以上の担ぎ手が集まる「おたる潮まつり」。この連合神輿渡御の時には、市内のほとんどの神社の神輿が集まる。

「普通、神社の神輿は神社の祭りでしか出さないものなんです。それを出してくれるというのは、各神社の宮司さんが、私たちの活動を認めてくれたと言うことなんじゃないかと思っています」

※月刊イエローページ 2003年 8月号の記事より転載。


2011-02-10 10:04